先日、大橋巨泉さんが亡くなられました。
ある程度の年齢の方は、昭和のテレビ界を支えた大御所の死がニュースで大々的に取り上げられている姿が印象的だったのではないでしょうか?
報道では、4度のがんを乗り越えてきた大橋巨泉さんの力強い闘病の様子が語られていましたが、その中で、遺族から終末期のモルヒネを使った緩和ケアに対する強い懸念が示されていました。
在宅医によるモルヒネの過剰投与によって、亡くなる前はほぼ寝たきりになり、巨泉さんらしい最期を迎えられなかったことに対する不満です。大橋巨泉さんのモルヒネによる治療が適切であったのかどうかについては、医学的観点からの情報が不足していて客観的判断は難しいのですが、超高齢化社会を迎える日本にとって、今後の在宅医療の在り方について議論が分かれるところですね。
今回は、モルヒネを使った緩和ケアについて、少し考えてみたいと思います。
続きを読む前に応援クリックして頂けるとうれしいです!
現在、世界では毎年230トン以上のモルヒネが医療用に使われており、日本でも1トン前後が消費されています。
最大の用途は、上記で書いているように、がんの痛み治療です。モルヒネは、がん患者が耐え難い痛みに苦しむようになった時の、最良の痛み止めなのです。
私たちが痛みを感じるのは、体のどこかに攻撃的な刺激が加えられたときに、その刺激信号は神経から脊髄へと送られて脳に達し、大脳皮質がそれを痛みと解釈するためです。
痛みは危険を警告するメッセージとして重要な意味を持っており、私たちは痛みを自覚することによって危険を察知することができます。
しかし痛みが長く続くと、それは危険の警告というレベルを超え、耐え難い苦痛に変わります。モルヒネは、脳が痛みを感じないようにして苦痛を和らげる性質を持っています。
脳や脊髄の細胞はもともとモルヒネに似た物質、いわゆる「内在モルヒネ(脳内モルヒネ)」を神経伝達物質として利用しており、そのためこの物質を受け取る分子(受容体)をもっています。
そのような内在モルヒネとしてはこれまでにベータエンドルフィンやエンケファリンなどいくつかの物質が見つかっています。
モルヒネはまず、脊髄の神経細胞に直接はたらいて痛みの信号を弱めます。その結果、信号が脳に届きにくくなります。
同時に脳の奥にある中脳や延髄に作用して、痛みを抑える神経系の働きを強めます。
痛みは本人にとって苦痛であり、とりわけそれが長く続くと、次第に耐えがたくなってきます。
そこで脳は痛みの信号に気づくと、それを弱めようとして自分で内在モルヒネを分泌し、痛みを感じにくくするのです。
この物質は、痛みが生じたときだけなく強いストレスを受けたときにも分泌されますが、同時に副腎皮質刺激ホルモン(ストレスホルモン)も放出されます。
たとえば小動物が大きな捕食動物に攻撃され、傷の痛みで倒れてしまえば、たちまち捕食動物の餌食となります。
そのようなとき、攻撃された小動物の脳内にただちに内在モルヒネが分泌されて痛みを一時的に弱め、同時にストレスホルモンが血圧を上げて代謝を活発にし、脅威から逃れることを可能にするのです。
これと同じ仕組みが、女性の出産時にも働きます。
妊娠中は内在モルヒネの分泌量が増えますが、これは出産時の産道の強い痛みを和らげるためとされています。
ところで、モルヒネも内在モルヒネも乱用すると依存症を引き起こします。モルヒネのこのような性質は、動物実験で容易に明らかになります。簡単な実験装置にラットを入れ、ラットがレバーを押すとモルヒネが血管に注入されるようにします。するとラットは薬のもたらす快感にとりつかれ、何百回でもレバーを押し続けるようになるのです。
ドラッグや内在モルヒネは、脳の「報酬系」と呼ばれるしくみを活性化させると見られています。
報酬系は、私たちが好きな食べ物や飲み物など、基本的欲求を満たすものを手に入れたときに、満足感や達成感を生み出すしくみです。
マラソン走者やジョギング愛好家が、長時間走ると気分が高揚してくるランナーズハイも、内在モルヒネの一種である、ベータエンドルフィンが大量に分泌されるためと、考えられています。
報酬系は、中脳から発して大脳の中心付近の側坐核という直径2ミリほどの小さな領域に達する信号の経路です。
この経路のスタート地点にモルヒネが作用すると、側坐核付近でドーパミン、別名快楽物質が放出されて、いい気分になります。
そして報酬系の活性化を経験した人間や動物は、先程のラットのように同じ刺激を何度でも求めるようになります。
モルヒネなどのドラッグはとりわけその刺激が強いため、いちど味を知った報酬系は、それを求めずにはいられなくなります。こうして薬物に対する依存症状が形成されていきます。
依存症が起こるひとつの要因は、その物質が切れたときの負の作用です。
モルヒネなどのドラッグは報酬系を刺激するだけでなく、神経伝達物質ノルアドレナリンの作用を妨げます。
ノルアドレナリンは不安感を生み出すので、薬物依存症の患者はドラッグが効いている間は不安を感じないものの、ドラッグが切れると突如強い不安感に襲われて、いっそう激しく薬物を求めるようになります。
しかしながら、慢性的な痛みを抱えるがん患者などは、医師の指示を守って使用する限り、モルヒネが依存症を引き起こすことはありません。
アメリカのある研究では、モルヒネによる疼痛治療を受けた1万2000人中、依存症に陥ったのは4人。
それも、もともと薬物依存症の経歴をもつ患者だったとされています。
ちなみに、薬物依存症には、精神的依存のほかに肉体的依存もあります。
これは、薬が切れると体の代謝などが円滑に働かなくなることで、退薬症状とか離脱症状と呼ばれます。所謂、禁断症状です。
強い痛みをもつ患者がモルヒネを使っても精神的依存は起こらないものの、発汗、下痢、呼吸異常などの肉体的依存が現われることがあります。この症状は薬を徐々に減らせば消えていきます。